いーぬ。の人生回顧録 中学1年生編

【起立性調節障害】中学生になった途端、不登校が増える訳~中学1年生編~

 

セーラー服に腕を通し、ちょっぴり大人になった気分。

入学式当日、中学生になったこの瞬間

自分の人生を決める選択の連続が始まる事は、

十分理解していた。

 

理解しているだけに

自分の将来がかかっている重圧と責任感で

すでに押しつぶされそうでした。

 

真面目に考えすぎた私のストレスが爆発し、不安障害(パニック障害)と起立性調節障害を発病。

病気になっていった”中学校”という所が、私にどんな風に見えていたのか?また私の体にどのような変化があったのかをご紹介します。

 

大きく影響したのは、またもや教師の存在でした。

 

 

独特の雰囲気にのまれ始める

 

中学生になると不登校の生徒が急激に出てくる

これが学校の教育システムの懐疑的な所だと私は思っている。

 

小6~中一の落差が大きすぎる

 

のほほ~んとした雰囲気の小学校を卒業し、

”よし、これからがんばるぞ

と思ってはいたが、その程度の覚悟じゃ実際ダメ。

 

まず先生の態度が急激に悪化。

何も悪い事しなくても常にピリピリしていてケンカ口調。

身を引き締めさせたいのは分かるが

逆にこの緊張感が精神的苦痛になる子もいる。

むしろこっちの子の方が多い。

そして私も精神的苦痛になった方。

 

・だから反抗する子が増えてしまう。

・萎縮して行けなくなってしまう。

 

私が見てきて感じたのはこの二つの要因が強いかと思う。

 

いーぬ。
決して勉強、運動がめんどくさいからじゃないです。

 

「思春期だから」

はあんまり関係ないように思います。

もし関係あるのだとしたら、

「思春期なのに環境に配慮が足らないから」

だと思っています。

 

私の実体験では

「良い先生に会えなかったから。環境が悪化したから。」

 

ただそれだけで人生が変わってしまうように思います。

 

明らかに素行が悪い子以外は怒る必要性などいらないと思う。

もっと段階的に社会人になる為の教育方法の方がいいと思う。

 

せめて中3になってから厳しくしたらいいのでは?素行の悪い人物にだけ。

こっちは入学して覚えなければいけない事だらけで付いていくのに必死なのです。

 

私の中学校は特に堅気ではないような言葉遣いの先生が多かった。

本当にここは学校なのか?と何度も疑問に思いました。

 

こんな緊張状態を作っていては、いづれ耐えられなくなって壊れてしまう。

実際に、特に優しくて穏やかだった人を変えてしまった。

 

おっとりしていて優しかった先輩に突然名前を呼び捨てにされる

 

小学校の時に交流のあった優しくてフレンドリーに接して下さる先輩がいました。

ゆっくり話し、おっとりしていた。

「いーぬ。ちゃ~ん」

と私を見かけては手を振り走ってきて下さる人でした。

私はその笑顔と温かいオーラを纏う先輩が好きでした。

 

私は先輩と同じ中学に行く。

「一年後、また会えるのが楽しみだね」

そう言って下さった先輩と、約束通り廊下でバッタリ会えた。

 

気づいたのは先輩の方。

当然でした。

女子集団のトップを歩く先輩の目つきと雰囲気は、私の知っている先輩ではなかった。

 

「あっ!いーぬ。!!久しぶりーー!」

 

口調も変わっていた。

呼び捨てにされたのも初めてでした。

だいぶビックリしたと同時にショックでした。

覚えて下さったことはありがたかったが、一年でこうも人は変わってしまうのか・・・と寂しい気持ちになった。

 

先輩とは度々すれ違い、その度に「あっいーぬ。!!じゃ~ん」と話しかけて下さったのだが・・・

そんな上から目線の馴れ馴れしく話す人じゃなかった。

おしとやかで何でも話せる人柄だからこそ慕っていた。

 

・・・「おはようございます😌」

そう返すべきなんだろうなと思い、丁寧に返した。

今の位置に付くために相当葛藤をしながら努力したのだろう。

必ず何人か引き連れている為面目を保ってあげるべきだと思いました。

 

この瞬間、ただの先輩と後輩になった。

 

優しくて穏やかな人がこの場所で生きていくにはこのくらい変わらなければ精神が持たなかったのだろう。

先輩を変えてしまったこの環境は恐ろしいと思った。

 

 

 

賢くてスポーツ万能で優しかった近所のお兄さんは非行に走った

 

私よりずっと年上だが、同じ登校班だった為良く知っていた近所のお兄さん。

凄く優しくて賢くて生徒会長でもあった事から、全校でも有名で親御さん達にも一目置かれるような存在。

運動会ではリレーのアンカーで下級生から憧れの眼差しで拍手喝采を浴びていたのが印象的でした。

絵にかいたような完璧な人に見え、こういう人が国を動かしていくんだろうな~と思っていました。

 

私が小学生の時、偶然にも下校中にお兄さんに遭遇した。

髪は長髪で大人をも寄せ付けない雰囲気を放ち、目つきは鋭くなっていた。

お兄さんを、大きく避けて歩く通行人の気持ちが分かった。

 

”怖い”

 

有名な人でしたから、変わってしまった時もうわさ話で近所を賑わせた。

 

”今は学校に行ってない” ”たばこを吸っている” ”不良グループとつるんでいる” ”喧嘩っ早い”

 

色々聞きました。

何故か全部本当かのように思えるくらい、変わってしまった事に悔しささえ覚えた。

気になる噂の中に

”選ぶ友達を間違えたらしい”

というものがあった。

 

何だか一番しっくりきた。

利用されてしまったのかもしれない。

 

強くならなきゃ生きていけない世界なのかもしれないが、優しくて真面目な人ほど極端に悪い方向へ変わっていってしまう「中学校」という所が恐ろしく感じた。

 

優しくて尊敬する人達は、ことごとく私の中から消えて行った。

 

 

時間がなさすぎる時間割

 

難しくなる勉強に先生がさらっと教えるだけの授業で

塾に行かざるを得なくなる子が増えました。

行ってない子の方が珍しかったです。

 

いーぬ。
塾に行かないと成立しない学習制度、おかしくないですか?

 

選ぶ部活によっては帰りが遅くなる部活。

更に宿題と今日の復習と明日の予習。

 

一日でも休めば置いて行かれてしまう情報量を覚えなくてはならない。

 

勉強かスポーツか選べと言われているかのような時間割。

寝る時間はいつですか?

家族も友達とも話す時間がありませんよ?

運動部を選べば勉強にはついていけなくなりますよ?不公平では?

 

更に追い打ちをかけるかのような先生の喧嘩口調。

基本的に威喝姿勢なのである。

これには聞き覚えがある。

 

小5の時と一緒。

 

 

あっ・・また地獄のような日々が始まるんだ・・・”

あの時のS先生が沢山いるこの場所で。3年間・・・。

しかも此処には男性職員の方が多い。

迫力は増し、初めて先生に対して怖いと思った。

 

私は記憶がフラッシュバックし”パニック”に陥り、自律神経がおかしくなり始めた。

 

実際に個人的に怒られた事は無かったですが、自然と”もっと頑張らないと!”と思うようになりました。

 

小学生の頃のような簡単な生活じゃなくなる。

勉強も復習、予習必須だろう。

授業中、当てられて答えれないようならこの学校では酷く怒られる。

 

ドキドキしてきた・・・

 

不安になりやすい性格と、予測して動いて努力する性格が

悪い方向へと傾き始めた。

 

 

「小5の記憶」↓

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体に異変が出始める

 

私は先輩達のように社会的な迷惑をかけたり、人柄をガラッと変えてまでのストレス発散、心のバランスを保つ事は嫌でした。

親不孝者にだけはなりたくなかったから。

 

あの時と同じように真正面から受け止めて対処するしかない。

理不尽なまでの恫喝に近い怒り声は流せばよい。

そう思って過ごしていました。

 

小学生時代のストレスの蓄積も重なって

私の体にいよいよ異変が出始める。

 

限界を迎えた身体は騙す事などできないらしい。

 

頭が真っ白になる

 

授業で先生の言っている事が、全く頭に入らなくなりました。

手は動いてノートをとっているし、問題もちゃんと解いているのにです。

”覚える”

という作業が全くできない。

 

先生の声も聞き取りにくく、友達と交わした内容でさえ

その場限りで覚えていない。

 

自分の感情さえ聞こえなくなっていました。

無心で動いていたのかもしれません。

 

授業開始の鐘と終了の鐘が同時に鳴って”ハッ”とする。

あるいは、いつの間にか給食を食べてる・・・という記憶が飛ぶ日が何度か発生。

 

記憶力に多少自信があったものが全く機能しなくなり、自信喪失。

自分に不安を感じ始めました。

 

友達の名前を忘れる

 

さっきまで話していた友達の名前が出てこない。

呼び止めようにも名前が出てこない。

必然的に近寄って「ねぇねぇ」としか呼べない。

 

”私は一体どうしてしまったんだ?”

 

怖くなり・・・何より悲しかった

自分の中で大事にしていたものの一つが

友達との絆でしたから。

 

小学校からの友人の名前を忘れたのは一番ショックでした

 

特に大事にしていたはずの”S君”の名前を、あろうことかこの時忘れてしまう。

自分の底にあるストッパーの役目をしてくれていたものが無くなった気がした。

 

 

「先に旅立ったS君」↓

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低血圧症になる

 

低血圧なのはもう既に小学校の頃からちょくちょくなる事がありますが、

中学生になったとたん頻度があがりました。

 

が、休んでいる暇などないので気合で乗り切っていました。

上が80台以下なのはしょっちゅうでしたね。(今は90台まで回復。)

頭痛と体のだるさに悩まされました。

 

 

起立性調節障害(略/OD)発病

起立性調節障害(略:OD)とは思春期に起こりやすい自律神経失調症の一種です。

 

私が一番びっくりしたのが”失神発作”でした。

特にお風呂に入った後、すぐに眩暈が始まる。

ただ単にのぼせているだけだと思っていました。

 

なのでとった対策としては

ポイント

・お風呂に浸かるのは40度を超えないようにする。

・5分以内に出る

・入る時も出る時もゆっくり座り ゆっくり立ち上がる

・かけ湯は心臓から遠い足首から

・それでも視界がぼやける時は、何か物に掴まってじっとする。意識がはっきりしてから風呂場から出る。

 

結果的にはこれは合っていたようなので、同じ症状の方はご参考になればと思います。

(主治医談)

 

頭の打ちどころが悪かったら危なかった

 

注意はしていたものの、ちょっとタイミングを外してしまい

とうとう洗面所で失神しました。真っ裸で・・・(恥)

 

目を覚ました時に見えてきた光景は

心配でかけよってくれた母の顔と、心配そうに名前を呼ぶ家族の声。

後から聞いた話、洗面所から「ドカーン」と音がしたと思ったら

私が倒れていたそうです。

 

幸いアザが出来た程度で無傷でした。

 

この頃すでに出ていた症状として

 

身体症状

  • 立ちくらみ(特に静止した状態の並行感覚が悪くなる)
  • 立ってると気持ち悪くなる(吐き気)
  • 失神
  • 低血圧からくるとみられる朝の起床困難
  • 頭痛(この頃はまだ市販薬で治まっていた)
  • 頻度が多くなりはじめた心臓への突き刺すような痛み(頻脈)
  • 体力低下(疲労感)
  • 耳鳴り

 

精神症状

  • 集中力低下
  • 記憶力低下
  • 先生に対する不信感・不快感
  • 自分が自分で無くなり、自信がない状態

 

当時通っていた医師の診断は

起立性調節障害と低血圧症。

 

後に現在の主治医に出会うと

不安からくるパニック障害、自律神経失調症だった。

 

失神と精神症状以外は今でも残り続け、闘い続けている。

 

悲しすぎた結末

 

様々な身体症状、精神症状を感じつつ

自分を鼓舞して何とか過ごしていました。

 

ある日の朝、自分の意志とは反対に起きれない事から 遅刻しそうになり、通学路を小走りで登校中。

 

この日は晴天で 心地よい風が吹き まさに春陽というに相応しい日。

 

学校の門まであと少し所。

まるで見えない壁にぶち当たったかのように、ピタッと両足が止まった。

 

”え!?”

 

ただ驚きしかなかった。

 

・・・いやだ・・・

 

”何故動かない?”

”止まっている場合じゃない!”

 

止まってしまったら・・・

この先が見えなくなってしまう・・・

 

前途多難な人生を歩む事を理解していた。

 

他人に自分を理解してもらうには それなりに学歴、資格が必要。

もうそんな時代じゃない事は分かってはいたが

何分、大人は時間が足りない。

じっくり一人一人と向き合っている時間などない。

 

小学生の頃、冷たい先生達からそう習ったではないか。

 

”努力でどんな困難をも乗り越えて見せる”

そのような人物であっても それを証明できるものなどない。

 

だから面接用紙なるものが重要なのであると考えていました。

自分の頑張ってきた証が必要なのだと。

自分に興味を持ってもらえる武器が載っているこの紙切れが。

 

なのにここで止まれと?

困難な道の方を選べというのか?

ずっと頑張って生きて来たのに?

 

まだ将来やりたい事など決まっていなかった私が、学校に行けないという選択肢を選ぶというのは

将来の幅も狭めてしまう・・・

やりたい事が見つかっても既に遅い事だってある。

私には耐え難い選択だぞ・・・

 

頭で理解してても体は一向に動こうとしなかった。

 

急に立ち止まった私を見て、一瞬不思議そうな顔をして 皆同じ目的の為にダッシュして行く。

 

遠くの方で登校完了を意味するチャイムが鳴った。

 

ああ・・・終わったな・・・

 

まだまだ急いで走っている子がちらほら居たが、私はそれが羨ましくてしょうがなかった。

 

初めて学校をサボった形になった。

いや正確にはサボった訳ではないのですが、他人からはそう見えたでしょう。

今私の中で起こっている事情など知らないでしょうから。

 

私は同級生の背中を眺め、動かない足に目線を落とした。

自分の靴を眺めていると、暖かくて心地よい風が吹き 目の前に桜の花びらが舞ってきた。

 

”ああ・・・・またこの季節か・・・・”

 

私の中で大切なもの、人が消えてしまう季節。

何となく気づいていたが見て見ないふりをしてきた。

そうしなければ立っていられなかった。

 

ずっと出し続けてきた”心のサイン”を振り払って生きていくのはもう駄目らしい。

無視し続けて、とうとう体にまで症状が出てしまった”心のサイン”受け止めなければいけない日が来た。

 

 

 

私は覚悟を決め、前を見た。

 

 

 

桜の花びらが穏やかに舞って美しかった。

見上げた空がやけに眩しく感じた。

 

これからの困難に不安を抱きながら 静かに目を閉じ、頑張る事を止めた。

 

”両親に迷惑をかけない” ”親不孝者にはなりたくない”

結果的に一番避けたかった事をしてしまった。

 

 

 

心が泣いた気がした。

 

 

まとめ

 

普通に学校に行く事の羨ましさを感じた年でした。

小学校からが学校とするならば、私はたった6年間しか普通に学校に通えなかった。

何と幸せな事だったのだろうと思っています。

 

”あともう少しだけ同級生と学校生活を楽しみたかった”

 

私の場合はこの思いが強かったです。

その為ならどんな努力もしてきたつもりです。

勉強もスポーツも集団生活の中で自分の場所を作る生き方を。

好奇心旺盛な性格なもので、努力も苦に思わなかったのです。

ストレスを感じてはいたが、撥ね退けていた気になっていたのでしょう。

身体の限界がそれを教えてくれました。

 

そこまで悩んでなどいなかったはずですが、不満に感じた事はいっぱいあったなぁと今では思います。

家族や信頼する大人や友達に、もっと真剣に意見を打ち明けていたらまた違った結果になっていたかもしれません。

 

今、家族や友達に当時の事を話したら「そんな風に思ってたの!?」とよく驚かれます。

私は小難しく考えすぎだったようです。

学校で気づいた事、先生や教育についての違和感、

不満に思っている事を話して解決する方に努力すべきでした。

 

しかし

”普通に学校に行く事”

ができなくなってしまったのならしょうがない。

 

それはそれで生きて行けます。後から何とでもなります。

不安かもしれませんが、実際私がそうなりました。

出来ない自分を受け止める事が今は大事なのです。

その為だけに全力を注いで生きて下さい。

障害になるのなら、学校に行かなくてもいいのです。

 

結果、今私は様々な体験を得て、年を重ねるのが楽しみになってきました

それは皆と同じように学校に行っていたら得られない経験でした。普通とは違うルートでもハッピーエンドは存在します。

 

大人になった私からのメッセージです。

 

今を楽しんでください。それは貴重な経験です。

将来、あなたが一回り大きくなる為の良い体験なのです。

 

 

もし何かに悩んでいる方で、話したい事がある場合、今は相談できる場所が増えたようですね。

こういうSNSの使われ方が、最も美しいと思います。

 

電話相談窓口はコチラ

支援情報検索サイトはコチラ(電話以外の相談方法)

出典元:厚生労働省より引用

 

電話も選択肢の一つで良いと思いますが、”顔を見ながら真剣に話を聞いてくれる人”を必死で見つけて下さい。

私はその辺の嗅覚と運が良かったのでしょうね。

心のバランスを、取り返しのつかないくらい崩さない為に必ず必要です。

あとは楽しく生きていればいいだけです。

今はそれで良いのです。

罪悪感で吐き気がするでしょう?気持ち、分かります(笑)

 

受け入れるのは、勉強より学校に行く事より難しい事です。

もし達成したら、思いっきり自分を褒めてあげて下さいね😌

 

 

いーぬ。の回想

 

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