いーぬ。の人生回顧録 小学5年生編 後期

パニック症状はストレスの積み重なりでなる~小学5年生編~後期

前期からの続きになります。

前回の記事を見て頂いて、「そんなに酷い先生なら親に言い、PTAなりに動いてもらえばいいのではないか?」と思った方もいらっしゃるでしょうが、

この先生の上手い所は”もっともらしい事を言う”言い方でお説教する所。

言い方がキツイだけで、

親に言っても

”それは先生が正しいんじゃない?

というものが多かった所。

”怒る勢い”がキツイと言うのは説明しずらいものです。

時短の仕方も先生から具体的に指示された訳ではない。

子供たちが自発的にやったもの。

なんか・・こう・・・

姑息。な怒り方をする人。

そんな親からの苦情がきそうで来ない辺りで上手くストレス発散をする先生に言い返して事態は好転しない。

悔しかったですね。ただこの状況に耐えるしかない事に。

会社だったら即辞めてやるのに。

私はこの年、初めて心に鬼を宿した。

未だに、最初で最後の

”もってはいけない程の怒り

もし私が無くすものがない者だったら、間違いなく社会的に大きな事件を起こしてしまっていたかもしれない。

友達、家族を大切にしてきて良かった。心から周りに感謝しています。

今回は心が怒りで支配された「先生」というものにトラウマに思った出来事をご紹介。

どんどん賢くなる子供達

先生のお願い事の一つに、

”子供心を忘れない”

と言うのを覚えていますか?

これはこの異常な光景を隠す為だった。

「前期編」↓

【パニック障害の原因】軍隊化させた最悪な教師と戦い、心に重症を負った11歳~小学5年生編~前期

私の人生の中で 最も忙しかった11歳という年。 後に起立性調節障害を起こし 不安障害になり 自律神経失調症になり パニック障害になり うつ病になり 慢性疲労症候群になったのは この年に、 私のすべての ...

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時間は更に無くなる

給食後の昼休みが一番長い休み時間でした。

仕事がある子はこの時間をフルに使う。

何もない子はここでやっとゆっくり休める。

ただ5分前行動の規則がありますので

外で遊んで帰って来る面倒くささを考えると

室内で遊んでいた方が無難です。

外で遊びたい男の子も教室で掃除の時間の準備をしてから遊ぶ

という賢さっぷりでした。

休み時間だと言うのに、クラスにほぼ全員が待機状態。

他クラスの友達の遊びの誘いを断る子がほとんどで、

それを偶然見た

”校内の先生からS先生へお達しがあった”

のかは定かではないが、ある日いつも通り各々昼休みを満喫しているクラスに、

S先生が不穏なオーラを出しながら教室に入って来た。

何か言われたのかもしれない。

「おいおいお前ら!雨でもないのに何でこんなに教室に居るの!?」
S先生

先生の雷が落ち、教室は静まり返った。

いや・・・あなたのせいです。

「仕事してる子以外、外に行きなさい。子供は子供らしく、外で遊べ!!」
S先生

子供らしく在る事を禁じているのはあなたでしょう・・・

このクラスは横暴な上司に理不尽なリストラを宣告されないようにビクビク過ごしている者しかいない。

とぼとぼと出て行くクラスメイト達・・・。

暗い表情と険悪なムードが教室に広がった。

私は何かしら作業をしていたので

この年、外で遊んだのは外の掃除当番だった時だけ。

(昼休みが終わると掃除の時間でしたのでむしろ外に居た方が時短)

昼休みでさえ私達は自由など無かった。

各自の賢い遊び方

外に追い出されたものの、遊具は教室から一番遠いし図書室も遠い。

外で遊ぶなら以下の方法しかない。

場所取りからの”ふんわりドッジボール”

掃除当番が 外以外の人は、

持ち場に5分前に着くことを考えると

外では10分程度しか遊べない。

となると教室に一番近い位置のドッジボールくらいしかない。

しかもボールが遠くに飛ばないように

ふんわりした優しいドッジボール。

・・・ドッジボール?

いや・・・ボール渡しという謎の遊び。笑)

これなら女子も混ざって遊べますが・・・

男の子達は楽しくなかったでしょうね。

それに皆チラチラ時計を確認しながら遊んでましたから

到底遊んだ”とは言える状況ではなかった。

Y君との遭遇①

まとめた資料などを持って移動する事が多かった私は、

度々Y君と遭遇していた。

ある日の旧校舎の階段の踊り場にて。

旧校舎は教室から遠く、階段の素材は大理石のようなもので硬くて冷たい。

そこの踊り場で うつ伏せで横になってるY君に遭遇した事がある。

小5後期の いーぬ。
「( ゚Д゚)!!びっくりした~。何してるの?」

危うく踏む所だった。

「・・・冷たくて気持ちいいんだよね~」
Y君

繊細なY君の独特な遊び方である。

Y君との遭遇②

またある日は図書館にて。

本を片手に窓の外を見つめるY君。

その先には

”ふんわりドッジボール”をしてるクラスメイト。

その表情はどことなく悲しそうだった

私に気づいたY君は

「('Д')!お~いーぬ。さん。・・・これ、本読んでるように見える?」
Y君
小5後期の いーぬ。
「ん?・・ああ~どっかのページに指挟んでおいて、すぐ開けれる状態の方がいいかな?(笑)」
「ああ~それいいなぁ(笑)」
Y君

みたいな会話をしたのを覚えてます。

教室に戻った私は、

「Y君知らへん?」
同級生

と聞かれました。

Y君と外で遊びたい様子の子でしたが

小5後期の いーぬ。
「ん~知らないなぁ~(困)」

とだけ答えました。

一人にさせてあげたかった。

女子の集団

お話したい女の子でさえ、教室には居られません。

私が見かけたのはまたもや旧校舎。

階段に座ってお話する子達。

冬は冷えるか寒そうでした。

教室でゆっくり過ごす事さえ許されない・・・

”でも教室にいるよりマシだから”

だと答えた友達が

不憫でならなかった。

動く理由があるだけ、私マシだった。

心に鬼を宿した日

それは夏休み前の出来事。

ようやく地獄のような日々から解放される

と、喜んでいた。

「いーぬ。さん、ちょっと」
S先生

”今日は妙に機嫌が良さそう”

なのが不気味で嫌な予感がした。

「8月の〇日は空いてるかしら?」
S先生
小5後期の いーぬ。
「?・・・今の所予定は無いですけど」
「そうなの良かったわ~。いーぬ。さん 50m走のタイム良かったよね?」
S先生
小5後期の いーぬ。
「(知らんがな・・・と言うか話かけないでほしい・・・)・・そうなんですか?」
「そうなのよ~。それでね、学年で男女二人ずつの計4人に、陸上の指導を 特別にしていただける事になったのね。」
S先生

うわ~面倒くさい事に巻き込まれるなぁ~と正直思いました。

私は陸上競技は見るのは好きだが、やるのは好きではない。

どうやって逃げようか言い訳を考える間も説明は続く。

「今年は、私達の学校の5年生と、〇中学校の生徒さんが選ばれたのよ。学年で一番足が速い男女一人ずつは決まっているから、あと二人、うちのクラスからどうぞという事なのよ。 いーぬ。さんどう?」
S先生

それなら何故私なのか疑問だった。

頑張っても8秒台で走れるかどうか?なタイム。

当時、私のクラスでは山ほど居た。

ストレートに断る事にした。

先生の癪に障らない程度にできるだけ笑って・・・

小5後期の いーぬ。
「走る事、好きじゃ無いんですよ(困)」

そもそも

足が速いとか遅いとか関係無く、

走ることが好き、もしくは速くなりたいと願う子

にやらせてあげればいいのに。

まぁここで先生が引き下がる訳がない。

一瞬眉をひそめたのを 私は逃しはしなかった

明らかに声のトーンが落ち、

「え!?何で好きじゃないの?」
S先生

”好きじゃない”は理由にならないのだろうか?

向き不向きがあるでしょうに。

「クラスで一番早い〇〇さんはその日、用事があって~」
S先生

と聞いてもない

”私でなければいけない理由”を述べ始めたが、

どれも何か引っかかった。

首を中々縦に振らない私に観念したのか

「体験した事を、9月になったら皆に発表してほしいのよ。作文得意でしょ?」
S先生

ああ・・・それが本音か。

あと得意かは先生が決める事なので

知りません。

そんな理由なら尚更嫌だった。

断りに断り続けていたら、

”私に最も言ってはいけない言葉”を発してきた。

まさか”先生”から聞く事になるとは思わなかった。

「いーぬ。さんがダメなら〇〇さんに頼もうかしら。(当時一番仲が良かった子)・・・・・・・どうする?」
S先生

わざとですよね?

友達を人質にのですか?

あまりの卑劣なやり口に汚い言葉で申し訳ないが

この時ばかりは何だこの女・・・・と思った。

許せなかった。

私は拳を握りながら年上に対して失礼であると分かっていても、この人を心底見下した

「考えておいて。」
S先生

そう言い残し、冷たい目線と態度で去って行く先生。

怒りを通り過ぎると失笑するものなのですね。

初めて知りました。

それにどうしても私にやらせたいらしい。

考えておいて=覚悟を決めろ

そんな事分かっている。

だけど、私がやるのは友達の為ですからね?先生。

”走る事を好きになってもらいたいと指導して下さる方”思いを踏みにじっている事を分かっています?

更に後に分かる事なのですが、

この「陸上の日」は先生が管轄していた大事な案件だったのと、

中学生の管轄が、小学3年生の時の担任の先生でした。

サバサバしていて冷たい先生。

二人は似ていた。

怒りは道を惑わせる

”やる”と決めたからには本気でやる

これが私の信条。

それは結構なことだが、

大事な事を忘れていた。

頑張り過ぎた夏休みの代償

夏休みの宿題は

毎日やらなければいけないような物以外を

早々に終わらせ、走りこんだ。

何やらそのイベントには長距離走もあると聞いていたので

肺活量を鍛えるという意味で頑張った。

長距離は、歩いたほうが速いのではないか?

というくらい苦手でしたから。

頑張った・・・というよりは

怒りがパワーとなって無我夢中

といった感じでした。

そして冷静さを欠いた事で

風邪にかかりやすい体質になってしまっていた事を忘れていた

体調管理がなってないと全てが無駄になる

よりによって「陸上の日」に高熱をだした。

身から出た錆と言わんばかり。

知恵熱かもしれませんが

”怒りに身を任せて行動するとこうなる”

と言われたかの如く、参加できない旨を

たった一本の謝罪電話

私の11歳の夏休みは幕を閉じた。

気がかりだったのは

「熱で行けなかった。」

が、あの先生に通じるのか?という事・・・。

ずる休みしたかのように見えるのは当然だったから・・・。

物事の真意と信頼関係の重要性

夏休み明けの登校までの間、生きた心地がしなかったです。

どうせ怒られるんだろうなぁ~と思ってましたから。

というのも、

電話した際、上手く伝達がいきませんでした。

連携ミスでがっかり

当日の流れはだいたいこんな感じ。

step
1
熱が出たので親に相談。無理との決断で担当の先生に連絡。(小3の時の先生)

step
2
何度かけても繋がらないので、職員室に直接かける。

step
3
当直の先生が、「担当の先生に連絡しておきます」と言って頂き、先生の名前と電話番号を伝え、念の為この先生のお名前もひかえておいた。

私はこれでけで十分とみなし、上がってきた熱を下げる為

病院の時間まで一旦寝る事に。

集合時間が過ぎて10分経過した頃

自宅に電話がかかってきました。

元担任の先生からでした。(担当の先生)

母が対応したのですが、

「時間過ぎてますけど、どうしました~?」

な内容だったらしい。

うん、全然伝わってなかった。

そして10分も遅刻させまっていた。

まぁ・・・私が休まなければスムーズに済んだ話なんですけども。ほんと、すみません・・・。

これがとてつもなく気がかりだった。

信頼関係がなければ真実など無意味

とある国語の時間。

作文を書く時間帯だったので

いつもより更に静まり返っていました。

先生はこの時間を利用して

夏休みの日記を読んでいる様子。

一応事の経緯を日記に書き記しておいた。

それを確認したのか、しばらくすると私の元にやってきた。

ああ・・・読んだんだ。

気を引き締めた私とは裏腹に、先生はニコニコしていた。

先生が立って移動するだけで クラスの全員が顔を一旦あげ、目線で追う。

この構図は春からずっと続いてきた。

先生がどんなに配慮しようとも(わざとしてないようにしか見えなかった)

その子と先生の間に何かがあったから先生が動き始めたのだと 誰でも容易に気づけた。

今回は私が主役なだけ

先生はご丁寧に わざわざ私を労わるかのように

小声で話しかけてきた。

先生の小声はクラス全員に聞こえますけどね。

まぁ~先生にしては配慮した方の声量でしたけど・・・。

第一声は意外にも心配した様子の雰囲気だった。

「いーぬ。さん、夏休み大変だったみたいね。」
S先生
小5後期の いーぬ。
「あっ・・・はい・・。」
「残念だったわね。」
S先生
小5後期の いーぬ。
「そうですね・・・。」
「”陸上の日”の後、S先生(私の元担任の方)に、お詫びの電話を入れたのよ~。」
S先生

何やら雲行きが怪しくなる先生のトーン。

それに関しては多方面の方にご迷惑をかけたあげく、先生のメンツに係わる事をしてしまって

申し訳ないとは思っていました。

まぁ怒られるのも無理はない。

このくらいの嫌みは今更どうという事もない。

が、急に質問をされた。

「S先生(元担任)、何て言ったと思う?。」
S先生

お詫びを入れた際、元担任は私の事について何ていったか?

真剣な顔つきになり、感じる”怒”のオーラに

決して”良いニュース”では無い事は確実だった。

元教師は何て言ったのか、むしろ教えてほしかった。

私をかばった訳じゃなかったのでしょう?

どんな事を言っていたのか、むしろ聞きたいくらいです。

俯き加減で”考えている風”を演出しながら怒りを抑えながら先生の言葉を待った。

”あの子はああいう子だから”って。・・・・・・・この意味分かる?」
S先生

今でも耳に焼き付いて離れない。

そんな風に思われてたんだ・・・

と思ったのと、

逆にその言葉に対して”詳しい意味”をはっきり言わない

二人に対しての怒り

信頼関係が築けてない人同士はこんなもの。

経緯を見ようとせず結果重視。

SNSという所にも近いものがある。

サボったとでも言いたいんですか?

手を抜いて生きてるように見えますか?

勉強も運動も軽々やってるように見えますか?

誰とでも喋れて華やかに見えますか?

あなた方は本当に教師ですか?

例の如く

「考えておきなさい。」
S先生

の捨て台詞をはいて去って行く背中を見て思った。

はい。先生考えはまとまっております

将来、あなたのような大人には 絶対になってはいけないと、心に深く刻みました。

ただ、申し訳なかった事として

この状況を、否が応にもバッチリ聞いていた隣の席の男の子。

”嫌み”が聞こえた瞬間、君の手が一瞬止まったのが分かった。

先生が去って行った後も、あえて私を見ないようにしてくれていた

ありがとう。気を遣わせてごめんね。

目の前にいる大人より、クラスメイトの方がよっぽど大人だった。

先生の恋愛事情

毎日を忙しく過ごしていた私達に

朗報なのか良く分からない出来事がおこった。

先生がご懐妊された。

妊婦さんが大変なのは 具体的には知らなかったですが

「とにかく協力して、心身共に負担のかからないように労わる」

事が世の常識ということは ふんわり知っていました。

重いものを代わりに持ったりとかイライラしやすいから寛容に・・・とかですね。

ん?イライラしやすい?

これ以上に?

とても嫌な予感がした。

追加のお願い事項

先生から追加のお願い事が言い渡された。

追加事項

①先生の代わりに荷物を運んでほしいので、朝職員室に取りに来てほしい。

②授業中、先生の代わりに黒板に書く、書記の仕事をしてほしい。

③授業前に手伝う事がないか聞きに来ること。

これらは特殊任務隊に任されました。

朝から晩まで忙しいというのにどうしたら良いのか・・・。

何故なのか特殊任務隊の一人である私は

運をも味方につけなければならなくなった。

その為に早く帰って早く寝て学校に行く努力をしました。

ちょっとでも時間が惜しかった。

特殊任務隊が疲弊しだす

学力の見本

運動もバランス良く得意でなくてはいけないですが、

先生の場合は主に学力の方が重要です

基本的に小学生の頃は、得意な科目も不得意な科目もなかったです。

そこに目をつけてきたのが先生でした。

100点の重圧

毎週指定の曜日に漢字テストがありました。

この頃が記憶力のピークだった私は春からミスした事はなかった。

個人的に”今日もよくやった私”と一人で楽しむのが好きだった。

が、先生はある日私に起立させ 私の成績を皆の前で発表し、

今後もどこまで記録を伸ばせるか期待しようと言い出した。

「凄いね!いーぬ。ちゃん」

と拍手喝采を浴びたが

正直、先生が余計な事を言ったせいで今後がプレッシャーになった。

まぁそれが狙いだったのでしょう。

何も考えてないから取れてた満点は、自然と意識して予習するようになっていった。

キャパシティーオーバーで記憶が飛び始めた【パニック症状】

お願い事を追加されたせいもあり、私の脳が限界を迎えた。

ある日、色んな任務が重なった日があった。

黒丸で囲ったもの全部ですね。

自信さえも喪失させる事態を生んだ。

①宿題をやり忘れて登校

朝、ランドセルから提出物を出そうと思って中を確認すると

何にもしてないノートがパラり。

顔面蒼白

というより自分の中でありえない事だった

信じられないミスに私が一番びっくりした

この時皆の力を借りて工作作業を手伝ってもらった。

申し訳なさ過ぎて泣きそうだった。

②給食当番をし忘れる

委員会の仕事が学校に関わる一大イベントだった為、

企画を練ったり 上級生と打ち合わせをしたりと 忙しい時期だった。

給食中も常に考え事をしていて 後片づけの事をすっかり忘れていた。

聞かなくてはいけない事があり、

昼休みに教室にいてもらう必要がある上級生を

給食後に捕まえる為に、急ぐ事ばかり考えていた。

帰ってきて綺麗に片づけられた食器類を

代わりにやってくれた子が居たと説教されて始めて

っ!”と気づいた。

お礼を言いに頭を下げに行ったが

基本の行為を忘れ始めた私は、パニック状態になっていた。

どうしてしまったんだ私!?と混乱し、自信を失いつつあった。

③記憶力が低下しはじめる

自分の身体の異変に戸惑いだしたある日。

ちょっと誇りに思っていた漢字テストも

手がピタッと止まった日がきた。

ん?おかしい・・・いつもなら目に焼き付いているのに

思い出せない。

イージーミスも連発しだして90点台しかとれなくなった。

自信はついになくなり

なんか解放されたようでむしろスッキリした。

先生のありがたいフォローによって

その事がクラスの全員に告げられて、

ちょっと傷ついた事以外は良しとしよう。

満身創痍の友達が最後の心の糧だった

同じ特殊任務についていた親友。

よく泣く子でしたが決して逃げる事はしなかった。

夕暮れを背に、自分たちの影を見ながら無言で一緒に帰った日が忘れられない。

会話をする気力も体力も学校で全部使い果たしていた。

分かれ道、必ず言ってくれる

「また明日ね。」

その言葉だけが励みでした。

どれだけ辛くて家で泣こうとも、この言葉を思い出しては立ち上がれた。

本当に感謝しています。

だから私は友達と認めた相手には、家族同様に接します。

友達の存在は私の生きる意味でもある。

今では3児の立派なママとなった。
泣いてた面影など、今は無い。

子供と遊ばせてもらう時に

”やんちゃでごめん”

というけれど、あなたの子供だったら何だって許せてしまえる。

体力が危険域に達していても 関係なくなる。

なんかもう・・勝手に孫のように思っているよ(笑)

たとえ寿命を削ったとしても友達の大事なものは私も守る。

私が友達を大事に思える人間にしてくれたのは、間違いなく友達のおかげです。

あなたの大事なものは私の大事なものだよ😌

妊婦さんのストレス発散

ご懐妊されてからというもの、

輪をかけて荒くなった先生の口調。

多少の物理は皆大目に見ていた。

先生の赤ちゃんの為ならという思いで。

教室と職員室を朝から何往復もした。雑務を片付ける為に。

しかし冬休みを目前に、クラスは憔悴しきっていた。

慣れって怖い

名ばかりの休憩時間、

用事で外に出ていた私は 教室に戻って来たばかりだった。

教室に足を踏み入れた途端、

皆が凍り付いて動けない様子が窺えた。

先生の前で泣きじゃくる子と

いつもより更に体に障りそうなでかい声で怒鳴っている人。

今日は機嫌が一層悪いようだ・・・

何事かと突っ立っていたら、

コソコソ話で、事を友達が教えてくれた。

友達間でゲームを貸した貸さないとかの話。

何故それだけでこんな空気になるのか・・・。

皆あなたの騒音にビックリして手が止まってるじゃない・・・

それにもう許してあげていいでしょう?・・・

と言わんばかりの泣きよう。

涙でぐちゃぐちゃになってる真っ赤な顔と

嗚咽でもう何を言っているのか分からない言葉。

見ているこっちも辛い。

授業が始まる鐘が鳴って、皆が席に着いても一向に始まろうとしない授業。

いつまで続くんだろうこの光景は・・・。

結果的にはその日の午前中の授業が全部無くなるまでだった。

その間の自習は、頭がガンガンして倒れそうだった。

先生、そんなにイライラしたら、お体に障りますよ・・・と思っていた時、

ふざけんなてめぇぇええ!!!
S先生

多少の物理だったものが限度を超えた。

そして一年間のあいだで最も汚い言葉だった。

勢いで自習中のクラスメイトの机に当たり、その子の教科書やらノートやらが地面に落ちた。

一年の間で最も静寂に包まれた瞬間。

私が見たものは

無表情で教科書類を拾い、机を元の位置に戻して座る

巻き込まれた子。

そしてそれを無表情で見つめるクラスメイト。

いつの間にか事件になりそうな事が当たり前になり、いつの間にか皆の眼から光が消えていた。

この惨状に慣れてしまっていた。

私はその光景が悲しくて、茫然自失で目の前が霞んだ。

私の大事なものが壊れてしまった。

大事な友達が皆同じ表情になってしまった。

フッと体から力が抜け、何かどうでも良くなってしまった。

この先生の言葉や行動に疑問を持っていたら自分の身が持たない。

私は感情を捨てる事にした。皆と同じように。

怒られても、怒られている人を見ても何も感じないように自分を守った。

そして、いつの間にか11歳が終わっていた。

まとめ

あと一日頑張ろう。

あと一日行けば休日。

そんな心境で一年耐えた。

後半はパニック状態でほぼ覚えてない。

頭が真っ白だった。

力が抜けた時に虚無の心で自分を守ったからだと思います。

見覚えのない社会見学時の写真などを見ても全く思い出せない事がとても物悲しいです。

生涯にわたってストレス耐性に限りがあるのだとしたら、

私は間違いなく元々少なくてをこの年で使い切ってしまった。

その後、先生は産休に入る為このクラスが最後の教員生活になった。

その点においては

大いに賛成です。

いーぬ。の回想

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