いーぬ。の人生回顧録 保育園編

予期不安が出始めたのは4歳頃。心配性は不安障害の片鱗だったのか?~保育園編~

子供が察知する能力危険を防ぐ行動を学ぶ場の一つに「保育園」があげられると思います。

集団で過ごす事によって人を観察する事が増えるからです。

保育園に通うようになってから不安」と言う気持ちが生まれた。

もちろん今になって言葉で説明する事ができますが、当時はこの”モヤモヤ”とする感覚が何なのか分かりませんでした。

それは私の元々の性格の心配性成長を伸ばしすぎたからでした。

それが後に不安障害になっていく事になろうとは、この時は思ってもみませんでした。

”生まれ持った個性を伸ばし過ぎた”と結果付けて(思い込むようにしたとも言う)今は特技として生かせれる性格になりましたが、少々この粋に達するまで時間を多分に使い過ぎ、失ったものが自分自身を苦しめた。

結果として色々な因果が重なって不安障害になってしまったとしか言いようがないですが、私の場合は遺伝が強く占めていて、学校での集団生活で目覚めてしまったからだと思います。

後に苦労する事になるのを防ぐ、あるいは既に病気の方も回復に向かうように、私の経験が何かのヒントになれば幸いです。

それでは4歳までさかのぼって一緒に「一人の人間の人生」を見ていって下さい😌

生まれた環境と本来の性格

まず私が産まれた段階ですでに恵まれていた点に、兄弟がいて私は末っ子だったという事。

必然的に上の兄弟を見て育つ事になるので 物事の善悪が早く習得しやすく 特に何をしたら怒られるのか?”については兄弟の振る舞いを見て覚えました。

いーぬ。
観察眼は自然と身に付きやすい環境だったんですね😌

子供にありがちな「これ何~?」などを聞くまでも無くてたら分かるんと思い、人を観察する事が癖になっていきました。

親からしたら手のかからない良い子だったらしいです。

この環境下で育った私の性格は、以下の通りになっていきました。(参考程度に)

元々の性格

・好奇心旺盛で思い立ったら直ぐ行動。

・多少の怪我をしてでも冒険したい。

・素直。人の言葉を簡単に信じる。

これが、「末っ子」「観察する」事が身についた事で

メリット

・褒められる術を知っている怒られない為の回避術&自分に自信を持つ為

・大きな怪我や事故などの不運を回避しやすい(危機察知能力アップ)

・観察してから動くので基本は冷静になる←動きたいけど一旦我慢で、リスク回避を考える

・良い事か分からなくても予想する癖がつくアイディアを絞る(想像力アップ)→そして行動する(危機管理能力アップ)

・観察は人間の心にまで及ぶ様になり共感力アップにも繋がる←家族や友達が大切なものになる

デメリット

・プライドが高く打たれ弱い←ミスをすると酷く落ち込む。怒られようものならその内容を今でも覚えている

・効率重視な判断をしがちで自分の気持ちが行方不明になりがち(想像力アップが仇になる)←どうしたい?と聞かれると困った←「どうしたらいいか?」の方が重要だった

・予想はネガティブな方にも働く←考えすぎ←元々の性格の心配性が原因

・共感力アップは良い事ばかりではない←過度な不安を呼んだ

メリットとしての予想する→アイディアを絞る(想像力アップ)→行動してみるようになる』は、

大人になるにつれて経験から一瞬で判断できるようになり

『観察は人間の心にまで及ぶ様になり共感力アップにも繋がる』は、

人の道を踏み外さない事に、また他人の行動を自身の人生の教訓に出来るようになりました。

デメリットとしては”どんな事をすれば褒められるのか?”では無く、”どんな事をすれば怒られるのか?”を主に観察していた事が、今後の人生にかなりの障害になっていきました。

いーぬ。
人生において今後、自分自身と対峙する時に”ミスをした自分”を受け入れる事が困難になりましたね( ;∀;)

誘拐?未遂阻止

この頃一番、危機察知能力と危機管理能力が働いたエピソードとして 私一度、スーパーで誘拐されそうになった事がありまして(笑)

今でも鮮明に覚えています。

母が「買い物カートを持って来るから”此処”で待ってて」

と取りに行った一瞬の出来事で、私はぼ~っと指示された通り突っ立って母の背中を見送っていました。すると中年くらいのおじさんが話しかけてきて

「お母さんがこっちに来てって言ってたよ。案内してあげる」

的な事を言ってきました。

元々素直?な私は観察したりして一度冷静になる事をしてなかったら、アホみたいに「うん(*‘∀‘)!!」と言って着いていってたでしょうが、まぁ皆さんも小さい頃に言われた、「知らない人に着いていってはダメだよ」を軸に、脳内では以下の通りに変換。

当時のいーぬ。の思考

”此処”で待っていてと言われた

でも何かのトラブル的な事があってこのおじさんに頼んだかも?

「知らない人に着いていってはダメだよ」が脳裏によぎる

真相が分からない。

私の中での圧倒的勢力図 「母>>>>>>>>>>>>>>>>>>おじさん」

母を信じる。(確定)

と言うのを高速で考えたのち、「いや、此処を動くなと言われたので・・・」と切り返した。

母がすぐに駆け付けてくれたので何もなかったが、私は文字通り断固としてその場所から一歩も動かなかった(笑)

それを後に母に褒めてもらって凄く嬉しくて誇らしく思いました。

それもこれも日常の環境、家族のおかげで正しい判断が出来たのだと確信した出来事でした。

いーぬ。
色んな意味で素直で良かった(笑)

保育園で学んだ友達との付き合い方

保育園に入ると大勢の同級生達で溢れていました。人間観察にはもってこいの環境です。多くの成功例、失敗例を知れるからです。

大勢の人の心を学べるので、観察しながら遊べる事が楽しかったです。

保育園では

・友達を傷つけないようにどう行動したらいいか

・どんな言い方をすればいいか?

・泣かせるような大ごとにしたくない

を特に重点を置いて見ていたと思います。

まぁ大人になっても対人関係はややこしく、これらに正解など無いのだと今なら断言できますが、4歳の私はきっと正解を出そうと考え過ぎてしまったのだと思います。

感受性が育ってきた証でもありますが、生まれてきた感情は「不安」です。

人間関係のトラブル防止や、それらによって怒られて恥じをかく事を防止するための予期不安の能力が発動

いーぬ。
この子は何をしたら喜ぶのか?悲しむのか?間違ってしまった時に起こる大惨事は何か?みたいな事ですね。

想像力がメキメキと伸びだし、客観的に多方面から物事を見るようになり ポンポンと浮かんでくる幾つもの負の可能性を処理できずに混乱し始めました。

浮かんだ考えは気に留めておいて、その場、その時の状況判断で処理するしかない事はこの時の私には思いもつきません。

まぁ・・・4歳だし(笑)

それと大事な事に、先生に怒られる事を妙に恐れている点。

「怒られる事=恥」という考え。

この変なプライドの高さ予期不安を読んだ大きな影響です。

いーぬ。
そして自分の知らずうちに何に対しても無理をして頑張るようになります

予期不安は多方面に

保育園は楽しかったです。遊ぶ時間帯は思いっきり楽しみました。

でもお迎えの時間が近づいてくる度に、不安感は突然やってきました。

”ちゃんと迎えに来てくれるのか?”

心配しなくてもちゃんと来てくれる。このような感情は誰にでもおきる事と分かっています。

そう分かっていてもこの思いだけは慣れることができませんでした。

そして、母親が迎えに来てくれる度に

大丈夫だよ

と言ってぎゅ~っと抱きしめてもらう事に何となく罪悪感を覚えてしまいました。

いーぬ。
母に、迷惑かけたくなかったんでしょうね。母親思いの優しい子だったという事にしておいています(*‘∀‘)

母親に限らず誰に対してもこの言葉(行動)は人を傷つけないだろうか?”と考えるようになりました。

考えてから話すと会話のテンポが悪くなるので、人と人が話している内容や行動から何が予測されるのか観察する事が増えました。

いーぬ。
今思えばどうみても気を遣いすぎ。そりゃ脳が疲労する訳です( ;∀;)

自ら話す事は減り、冷静な一面が出てき始めました。

同級生同士の喧嘩やらを見ていて、自分の周りだけでも穏やかな空気にしたいと思ってました。

とにかく平和に過ごしたかったと思われます。

お迎えのシステムで危機察知能力発揮

私の通っていた保育園では、決まった時間に帰る子供達の親が広場に集まり、子供達はテラスのような所に一列に整列。

先生がここで号令をかけます。

保育士さん
「お父さんお母さんに、ココだよ~って手を振りましょうね~」
「はーーい!!」
同級生
保育士さん
「お父さんもお母さんもお願いします~」
「はーーい!!」
保護者の方

みたいな感じでしたね。今思えば微笑ましいですね(笑)

ですが当時の私は、この短いやり取りの間に自身の親を見つけ出せれるのか?

が、只々心配でした。

見渡す広場には 沢山の大人でごった返しになっていましたから。

見つけ出した子から親に走り寄って行くのですが

皆がどんどん帰って行く中、遅かれ早かれ見つかると分かっていても不安感が強くなりました。

そう感じるのは私だけではないようで、同じような状況の子は泣いていました。

その光景が、”なんだかみっともないな 恥ずかしい事だなと思いました。

それは騒々しい空の下で、誰かの「ちゃんと迎えに来るって言ったじゃないの!」「だって~」と言う内容を聞いていたからだと思います。

そこで私は

母に迷惑をかけず、自分が不安にならずに済む方法

を考え、母に以下の事を伝えました。

ポイント

①私が見つけやすいように 最前線の位置の確保。
②最前線が無理なら、必ずブランコ付近に居ること。

今思えば、何様なんだろう・・・・と思います(笑)

いーぬ。
自分の事ながら、可愛くない子供だ( 一一)

しかしこの約束が、私の心のドキドキ(不安)を緩和したと鮮明に覚えています。

注意ポイント

ある種の才なのかもしれませんが、後に不安障害になった私からすると

心配性な人ほどあらゆる可能性を考えどれが最善か自分で決めて行動してしまう為、他人には”何故そんな事を言うのか?何故そんな行動とったのか?”と思わせてしまいがち。

そして”あらゆる可能性”の理由は自ら明かさない。説明しても私が安心する理由にはならないから。

”このパターンとかこのパターンとか考えた結果、この考えになった”なんて、とにかく脳をフル回転している私にとったら、もう次の事を考えているので明する事の大切はさほど重要では無いと思っていました。

この時は、に「大丈夫だよ」と言わせない為”

”この方が手っ取り早いから”なんて答えてましたね。母の気持ちを考えず、自分が何故このような考えになるのかは相手が知りたいことではないと思っていたからです。

なので母にはやたら賢いな〜ぐらいにしか思われてなかったようです。

いーぬ。
”心配性なうえに心配かけたくない”で心がいっぱいだったんですけどね

この時、「どうしても不安がとれない。分かっていてもとれない。どうしてだろう?」と言っていたら何かが変わっていたんでしょうか?

「大丈夫」に納得がいかないから不安がとれない」と言えたとしても大人でも返答に困ると思います。

それでも私の親なら私が納得いくまで付き合ってくれたでしょうが、自分の思った事を誰かに伝える事で、大きく状況が変わるとは思っていませんでした。

中々気づくのは難しいでしょうが、子供の様子がちょっとでも違ったら親が納得するまでしつこく聞いてもいいのかもしれませんね。

そしたら何か変わっていたのかな?

泣かない事が誇り

いーぬ。の母
「手がかからなくて助かっています。」

この言葉を本気で受け取ってしまったのが問題だったのかもしれない。

いーぬ。
でも途轍もなく嬉しかったです。

集団予防接種での出来事

それは予防接種の為に訪れた保険センターでの出来事。

この日は集団で健診だったのか、私と同い年の子が沢山居ました。

まぁ~うるさい。(笑)

注射ですから当たり前ですが

泣き叫ぶ子で溢れかえっていましたね。

私は母の隣で大人しく座ってその光景を見ていました。

いーぬ。
早く名前呼ばれないかな~とか思ってぼーっとしていました。

その落ち着きっぷりに 同じく順番を待つ母親さんに話しかけられた。

「大人しく待ってて偉いね~。怖くないの?」
保護者の方
いーぬ。
「はい。(注射は平気)」
「羨ましいです~。うちの子は落ち着きがなくて・・(困)」
保護者の方
いーぬ。の母
「いえいえ、元々大人しい子なんです~」

なんて会話をしながら 順番が来たので、さっと行って サクッとやって 元居た場所に戻ってきました。

「ええ!?(はやっ)・・泣かないなんて偉いね~(若干引き気味)」
保護者の方
いーぬ。
(こくんと頷く)
いーぬ。の母
「手がかからない子で助かってます。」
「やっぱり羨ましいわぁ~」
保護者の方

そう言われた母が照れ笑いをしていたのが印象的で、二人の話しのやり取りを見て

”私がいい子にしてたらこんなに母が喜んでくれるんだ” 

と思いました。

何より 母が他人に褒められているこの状況が、一番嬉しかったです。

その時私の脳内で

ポイント

・泣いても物事が変わる訳では無く、むしろ周りが困るだけ
・大人しくしてたら大人に褒められる

と解釈されました。

この思いを軸に、集団生活の間に

ポイント

・泣く事はかっこ悪い

・思った事をすぐに言葉にしない方がトラブル防止になる(特に何も思ってなくても)

保育園を卒業する頃には そう思うようになっていきました。

出来上がった性格

周りの大人からはよく褒めてもらっていました。

それは嬉しかったのですが、出来上がった私の性格はとても見栄え”のいいものでした。

自分に自信を持つという事には有利だったと思いますが、不安も上手に隠せてしまったのは今後の生活に大きな障害となりました。

この年、先生や同級生のママさんからおっしゃって頂いた言葉で私の性格は最終的にはこんな感じになりました。

保育園に通って出来上がった性格

・冷静…(心配性の為に予測して行動しないと不安だから。内心はドキドキ)

・大人しい…(観察してるだけor考え過ぎで疲れてぼ~っとしてるだけ)

・賢い…(思ったことをすぐ口にださないだけ)

・泣かない…強い子(泣いて良い方向に解決しない。むしろ問題を長引かせるだけ)

過度な親からの愛を受けていた訳でも無いのに、異常に褒められる事が嬉しくなってそれによって頑張れる性格になりました。

いーぬ。
別に悪い事ではないと思いますが、少々私の場合は過剰な気がします

褒められる頻度が高いのは、兄弟の影響が大きく、同級生からしたら大人びていたかもしれません。

環境や様々な出来事に遭遇した事により、元々心配性なくせに完璧主義方面へ向かって行ってしまっのではないかな~と今は懐かしく思い返してます。

しかし、怒られにくいと言っても全く無い訳ではなかったのに、どうしてこうも可愛げのない子供になってしまったのか(笑)

この辺りで、絶妙なバランスを取っていたのかもしれません。

これ以上褒められればプライドが高すぎる高圧的な態度をとるような人間になっていったでしょうし、怒られすぎてもビクビクした性格になっていたかもしれません。

ん~難しいものですね。人を育てる。自身を伸ばすというのは。

誰が悪い訳でも無いのがこの病気の特徴なので。

ただ確信して言える事は、人の気持ちも分からず傷つけるくらいなら不安障害になった方がマシという事。

保育園で一番学んだ事はそういう事だったのかもしれない。

まとめ

子供はよく大人を見てます。

特に自分の親の言葉、表情を日々観察してます。

何気ない毎日を過ごす中で、純粋に感じた思いが人格を作りあげていきます。

そしてその思いはまだ言葉で表す事ができません。

不安に思っている事を察知して

「今何を思ったの?何を考えているの?」

と聞いてくれるのはありがたかったのですが、

”言った所で返ってくる言葉は聞いた事があるもので、それに納得がいっていないのはどうしてなのか?”

を知りたいのです。

この時は説明する言葉が難しすぎて分からなかったです。

なので「ん~別に何も~」なんて誤魔化してました。

親からしたら、つかみどころがないせいで育てるのが大変だったと思います。

子供は肝心な事ほど言葉にできない。出せない。

私の場合、言葉に出せたとしても解決しようがない。

じゃあそんな場合どう接してあげたらいいのか?

”「気持ちを共有すること」で安心できるんだよ”

って事をしつこく言い、聞いてあげて下さい。

何度も話し続けるうちに、悩みなんてものはこの先沢山あり続ける事で完全な防衛策なんてないと納得する日が来るでしょう。

とにかく会話をし続ける事で、不安よりも愛情と感謝が上回った時に不安障害になりにくい性格になるのではないかと思います。

触れ合い続ける事で心が少しづつ軽くなってくるはず。

私の場合は子供の頃にどうにかしなかった為にこの先何十年と闘う事になりましたが・・・('ω')

それでもずっと寄り添ってくれた家族に今でもとても感謝しています。

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