起立性調節障害、不安障害、うつ病と闘ってきて、今私は慢性疲労症候群のような症状と共に生きています。
これまで私の最古の記憶から病気になったであろうエピソードをピックアップしてきました。
生まれ持った性格と環境により、私の今に繋がっていました。
長々と自己紹介を書いてきましたが、病状が楽になったキッカケから学んだことを最後にまとめとして残しておきたいと思います。
不安障害は長所の証
人の目を気にしすぎる。失敗が怖い。
人の目を気にしすぎるのは予測を無意識にし過ぎてしまう為。これは生まれ持った性格だから仕方ない。
失敗が怖いのは羞恥心が高すぎる為。失敗して怒られてもいいじゃない。成長するチャンスなんだから。
それに人にすぐ怒るような人は器がちっさいなぁと思うくらいの余裕をもっていい。
ふざけてない。真面目に行動してのその結果なんだから。
不安障害になる人は繊細で配慮が出来る人と自負し、誇っていい。
そう思うようになってから、何が起きても楽しめるくらい心に余裕ができました。病的なパニックのような症状はもう10年は出ていません。
自分を責めてしまうくらいならその原因を作った人のせいにするくらいで丁度良かったりします。
パニックに万が一なりそうな時、一旦深呼吸して、意識を一瞬飛ばしてみよう。徐々に冷静な自分に戻れたりしますよ。
仕事ができなくても自分を責めない
私がうつ病になったのは、”普通”に憧れすぎたから。
普通に学校に行って、就職して、結婚して、旦那さんの為にご飯作ったり家事したり・・・。
・・・そんな人生を歩みたくて、戻れない学生生活からずっと後悔しながら生きていた。
学校に行けなかったから学力コンプレックスに悩んで高卒認定試験を取得した。
無職なのが恥ずかしくて、無理して一日バイトをしては暫く寝込んだ。
結婚して、旦那さんの為に家事を頑張ってたら1ミリも動けないくらい体調が悪化した。もし私に家族が居てくれなかったら間違いなく入院レベルの体調悪化だった。
無理したって悪化するだけで結果的に良い事にならなかった。
多分私の中で一番恥ずべき事は無職の状態だ。準備はしてきた。いつだって動ける準備を。
でもお金を頂けるほどの成果をあげられるかと言われたら返答に困る。毎日キビキビ動けない。いつでも元気で動けない。それは仕事が出来た事になるのか?
仕事は誠実さが大事なのだ。
出来ないもんは出来ないと、潔く諦めるのに、何年も苦労した。
ベットから起き上がれないならごろごろしてていい。生きてるだけでいい。動けるときは必ずやってくるから、その時に無理しない程度に動けばいい。
私は自分のペースで動けるブログをする事を選択した。
理想とはほど遠いが、受け入れて選択したらうつ病は治った。私の感覚的に、少しだらけているくらいが丁度いいのかもしれない。
病名は気にしない
うつ病、不安障害の後遺症で自律神経失調症か慢性疲労症候群かと思っているが、もうこの辺はお医者さんのさじ加減なのでよく分からない。
合ってるのかもしれないし、未だにうつ病回復期なのかもしれない。どちらにしろ神経がイカれてしまってもう元には治らないと思っている。精神状態は良好で、むしろやる気に満ち溢れているのに、体が動かないほど怠さを感じるなどの症状の説明がつかない。
今やれることは病名の追求なんかではなく、動ける準備をいつだってしとけるようにストレッチしたり体を動かしたりして少しでも鍛えておくことだ。
きっとこれからも身体症状には悩まされ続けるし、治るものではないだろう。いかに上手く付き合っていくのかが重要だ。
お医者さんと信頼関係を築いたら、自分に合った薬を飲んで出来るだけ元気でいるようにしたい。前向きに考えるようになれば、良い先生、良い薬、良い体調に恵まれ、少しずつ状態は良くなってきますよ。
今の自分を認めてくれない人は整理する
私は家族に恵まれているので、私を便利だと利用てくるような友達もどきな人や、一緒にいても疲れるだけの相手は整理整頓した方が、病気は確実に良好にむかいます。
私の場合は"自分にプラスにならない人とは一緒にいない" "尊敬できる人か"を基準にしています。疲れるだけですからね。家族、友達、恋人と他人の境界線は明確にしておくと、トラブル防止になります。ストレスは病気の元です。
結婚より恋愛を楽しむ。その先は二人次第
私の安定しない体調での恋愛はほぼ疲れるだけでしょう。それでも好きになってしまう人が現れて、恋人ができたらそれはもう奇跡ですね。
でも一度失敗してるからこそ結婚は考えないようにしています。相手にどうしても負担を課す事になってしまう。今は家の中でなら比較的自由に動けてるが、いつほぼ寝たきり状態になるか分からない。私の介護は必要ないが、せめて自分の事は自分でできる人じゃないと絶対に上手く行かない。自立していて柔軟に動ける人じゃないとこの病気を理解出来ないと思う。
もしそれらを受け止めてくれる人が現れたら、幸せになりたいし、なってほしいと願う。
気楽に考えて恋愛しないと駄目ですね。何より相手の為にも。
部屋の中でできる趣味をもつ
たいがいの人がベットや布団とお友達なはず。横になってゴロゴロするしかない日が多い事でしょう。アクティブな人にとってはとても辛い。
しかし嘆いていてもしょうがない。新しい趣味を見つけるしかないのだ。
幸い私はアウトドア派でもありインドアも楽しめる派だ。
その中で映画は自己投影できるから好きです。純粋に物語を楽しむ事も好きだが社会経験に乏しい私にとって良い教材になるからです。
自己感性を高めて人間性を高めていく事は生きてくうえで必要な事です。
漫画もアニメもゲームも観て感じるという点ではおススメですが、だいたい2時間で壮大な物語に触れる事ができる映画もおすすめですよ。
余裕がある時は人の為に動く
できるだけ元気な時は動いたりすることで、元その姿を周りが喜んでくれたりします。また、目に見えないものでも、私の場合はブログ活動をすることによって、いつか誰かの為になっている事を祈って動いたりしています。
もし天涯孤独で喜んでくれる人がいないという方も少しの間でも動けるようになったあなたが、私は嬉しいですよ😊
物理的に動けなくてもどこかで世界と繋がっておくと、もしかしたら何か未来に繋がるような奇跡が起きるような気がする。行動しないよりはいい。
だれかの為に動けるとき、私は人生に喜びを感じる。
この感情はたとえ闘病中でも元気な時も忘れたくない。
いつだって自分より苦しんでいる人がいることを忘れない
私は辛くなった時自分に言い聞かせる言葉がある。
「私は世界で一番不幸か?」
いつも絶対にありえないと答える。
「今の私、本当に幸せ?後悔しない?」と問いかけてみる。
そうするとへこたれてる暇はないと思えてくる。動きたくてウズウズしてくる。自分の為にも今この瞬間苦しんでいる人の為にも。
私のおまじないの言葉、苦しくなった時真似してしてみてくださいね。
まとめ
人より長く横になっている事の方が多い人生なのか、心臓の音がやたら大きく聞こえる事がよくある。
弱ってきているのか、最期の音は確実に近くなってきている気がする。
でも全く怖くない。生きる意味が分かっているから。
できるだけ楽しく生きて美しい思い出をたくさん集めるんだ。若くして亡くなった同級生の為にも。そしてそれが自分の為になる。自分らしく生きて行く為の。
じゃあ孤独に生きている人は?
たとえ会う事ができなくても私が想い続けます。
これまで人から沢山のキッカケの花を拾ってきました。私にも何か残せるだろうかとずっと考えていました。今なら渡すことができる。
私から贈る花は
「リンドウ」の花
花言葉は
「悲しんでるあなたを愛する」
これでこの世で一人ぼっちの人は居ない。もし心が折れそうになったらこの花を思い出してください。
あなたはあなた。私は私。他人は他人。ただそれだけの事。悲しむ必要はありません。
出典元:YouTubeより
ヒュー・ジャックマンも感涙!映画『グレイテスト・ショーマン』「This Is Me」ワークショップセッションの様子を引用
私が伝えたい想いが素晴らしい曲と歌詞で歌い上げられているのでのせておきます。
心にいつだってリンドウの花を。
いーぬ。の人生回顧録、保育園編から長々と見て下さった方、ありがとうございました。いつだってあなたの幸せを願っています。